为了深水区而来 发表于 2011-11-21 21:57

日本网民讨论:日本文明是中华文明的模仿者吗?

さるさる 2004/04/19 13:01

サミュエル・ハンチントンは、世界を7つの文明圏に分類した。

西欧文明、ラテンアメリカ文明、東方正教会文明、

イスラム文明、中華文明、ヒンドゥー文明、そして日本文明。

日本は1国でひとつの文明を持つ孤独な国だという。

「オズワルド・シュペングラーを含む少数の文明史家が主張するところによれば、

日本が独自の文明をもつようになったのは紀元五世紀ごろだったという。

私がその立場をとるのは、日本の文明が基本的な側面で中国の文明と異なるからである。

それに加えて、日本が明らかに前世紀に近代化をとげた一方で、西洋とは異なったままである。

さるさる

原创翻译: http://www.ltaaa.com 翻译:燕近山

塞缪尔·亨廷顿把世界分成了7个文明圈。这7个文明圈分别是西方文明,拉美文明,东正教文明

伊斯兰文明,中华文明,印度文明还有日本文明。

一个国家独有一种文明,日本就是这样一个孤独的国家。

包括奥斯瓦尔德·斯宾格勒在内的少数几个文明史学家认为,日本在公元五世纪左右的时候拥有

了独自的文明。我赞同这种观点,因为日本的文明在基本的侧面上跟中国的文明并不一样,再加

上日本在上个世纪已经现代化了,但另一方面,日本也保持着跟西方显著的不同。

滔滔1949 发表于 2011-11-21 22:06

“孤独”的国家?!

有人肯赏脸将他们的文化独立出来,去和其他几大文明并列,可他们却认为自己是“孤独的国家”?!

日本人就这么害怕“孤单”吗?!

鱼游浅底 发表于 2011-11-21 22:06

捞分走人

仗剑行千里 发表于 2011-11-21 22:13

中国山寨产品,日本山寨文化

goupinsmoke 发表于 2011-11-21 23:02

中国山寨产品,日本山寨文化
--------------------------------------------------
中国近代从文化也山寨了很多日本的东西,没办法,人家先起跑了。

驴驹 发表于 2011-11-21 23:25

孤芳自赏呗!

yujinlong1662 发表于 2011-11-22 00:11

日本山寨文化

猫咪森林 发表于 2011-11-22 00:39

滔滔1949 发表于 2011-11-21 22:06 static/image/common/back.gif
“孤独”的国家?!

有人肯赏脸将他们的文化独立出来,去和其他几大文明并列,可他们却认为自己是“孤独的 ...

背靠干爹好乘凉嘛   

chenperu 发表于 2011-11-22 02:39

这个“日本文明”从什么时候开始算起的?    {:soso_e148:}

whyjfs 发表于 2011-11-22 07:37

我赞同这种观点,因为日本的文明在基本的侧面上跟中国的文明并不一样,再加

上日本在上个世纪已经现代化了,但另一方面,日本也保持着跟西方显著的不同。
================================================
还少了第八个文明圈:美国文明

whyjfs 发表于 2011-11-22 07:40

包括奥斯瓦尔德·斯宾格勒在内的少数几个文明史学家认为,美国在公元十几世纪左右的时候拥有

了独自的文明。我赞同这种观点,因为美国的文明在基本的侧面上跟欧洲的文明并不一样,再加

上美国在上上个世纪已经现代化了,但另一方面,美国也保持着跟欧洲显著的不同。

陪你到天亮 发表于 2011-11-22 08:09

谁也不带日本玩,不孤独才怪呢

为了深水区而来 发表于 2011-11-22 09:46

さるさる 2004/04/19 13:03
日本は近代化されたが、西欧にならなかったのだ。
世界のすべての主要な文明には、ニカ国ないしそれ以上の国々が含まれている。
日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。
そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない。
さるさる

日本虽然已经现代化了,但并没有西化。
世界上所有的主要文明圈都包含了两个以上的国家。
唯独日本是个特例,日本国跟日本文明重合在了一起。
正因为如此日本才处于孤立之中,无法跟世界上的任何国家形成文化上的紧密联系。
さるさる 2004/04/19 13:05
日本は、現在アメリカとイギリス、フランスとドイツ、ロシアとギリシア、中国とシンガポールのあいだに存在するような、
緊密な文化的パートナーシップを結べないのである。
しかし、それと同時に、日本は自国の利益のみを顧慮して行動することもでき、
他国と同じ文化を共有することから生ずる義務に縛られることがない。
さるさる

日本没有类似于美国与英国,法国和德国,俄罗斯和希腊,中国和新加坡的这种关系的合作者,无法与他国结成紧密的文化合作关系。 但是同时,日本也只需要考虑本国利益之后行动就可以了,不会因为与他国共有相同的文化而被随之产生的义务束缚住。

为了深水区而来 发表于 2011-11-22 09:47

マフムード 2004/04/19 13:29
文明の定義が問題ですね。
シュペングラー、トインビー、バグビー、ハンチントンなど
論者によって微妙に定義が違うでしょう。
比較文明論は、その定義がはっきりしないせいで
議論がかみ合っていないところがあると思います。
马哈茂德

问题在于文明的定义。
如斯宾格勒,汤因比,巴格比,亨廷顿等等,根据学者的不同对文明的定义也有微妙的不同。
由于比较文明学中对这一定义也是不甚清晰,所以我觉得不必对某些论题争执不休。

マフムード 2004/04/19 13:31
あ、追加
シュペングラーの『西洋の没落』では、日本はほとんど扱われていない上、
彼は「文明」を「文化」の末期状態(大都市的な知性・文化の冬)として
定義して使っていますが。
むしろ日本文明について細かく論じているのはトインビーだと思います。
马哈茂德

再补充一点。
斯宾格勒的《西方的没落》这本书,不仅基本上没怎么提及日本,而且他还将文化
的末期状态(大城市的智性·文化的冬天)拿来定义文明了。
反倒是汤因比对日本文明有详细的论述。

マフムード 2004/04/19 13:45
それからハンチントンの場合は、彼がその説を唱えた当時、
日本の経済力が世界的に、アメリカに迫る脅威とみなされていたことも考慮する必要があります。
今だったら、それほど日本が大きく取り上げられない可能性大。
马哈茂德

然后再来说一下亨廷顿。必须考虑到的一点是,在他倡导他那个学说的时候,日本的经济实力
在世界上被看做对美国构成了迫在眉睫的威胁。
如果是现在的话,日本很有可能不会被特别提出来。

碧翠 2004/04/19 15:22
文明ということばの意味内容がそれぞれで違う、というマフムードさん
の言には賛成です。それと、「イスラム文明」とひとまとめにしてしま
うあたりに、アメリカ合衆国人らしさがのぞきます。
ヒンドゥー・イスラム・東方正教会は宗教的なくくり、西欧・ラテンア
メリカは地誌文明圏としてのくくり、中華は民族と地誌からのくくりと
いうように、中身が少々揺らぐ点もあまり賛成できないのです。
結局、現代の言語圏・経済圏からの敷延として「文明」という言葉をあ
てはめているような気がします。
碧翠

我赞成马哈茂德说的,文明这个词的意义和内容各有各的不同。
像那种把伊斯兰文明统统归为一类的做法那是美利坚合众国的人特有的浅薄认识。
我不赞成内容不太严谨的说法,比如说把印度,伊斯兰,东正教笼统的说成是
宗教文明圈,西欧,拉丁美洲则统称为地志文明圈,而中华则统称为民族和地
志结合的文明圈。
看来,我觉得还是得从现代的语言圈,经济圈起展开详细的论述,才能明白适
不适用文明这个词。

マフムード 2004/04/21 12:03
「文明圏」と「文化圏」を二重構造に定義してみるのはどうでしょうか。
パミール高原を中軸としてユーラシア大陸を北、西、東、南の四文明圏と、
中世以後に新たに加わったものとしてアメリカ大陸を含む欧米文明圏。
たとえば東アジア文明圏を例にとると、
中国文化圏を中心に、日本、朝鮮、満州、モンゴル、西域、チベット、雲南、ベトナムなど
諸文化圏が文明圏内部に存在します。
本質的に格文化圏は同等ながら、歴史的には中国がイニシアティブを取ってきた。
またモンゴル、西域などは北アジア文明圏と、チベットなどは南アジア文明圏とに両属します。
文明圏を束ねる共通原理は儒教的社会秩序、漢字系統の文字と知識体系、大乗仏教、
中華帝国を中心とする世界観の共有、律令制国家体制の共有・・・・・・
そしてもっとも重要なのは、過去の歴史における、一つのまとまりとしての連動。
ほかの文明圏にも同じことがいえます。
たとえば現代の欧米文明圏には
西欧、中欧、東欧、南欧、ロシア、カフカス、北米、中米、カリブ海、南米、
ブラジル、オーストラリア・ニュージーランドなどの諸文化が存在。
統合原理は第一にキリスト教、そして近代主義やその他諸特性。歴史的な一体性。
他の文明圏と両属するものも含みます。
马哈茂德

把“文明圈”和“文化圈”定义成一个二重的构造看看怎样。
以帕米尔高原为中轴,欧亚大陆分为东、西、南、北四个文明圈,中世纪以后再加上一个包含了
美洲大陆在内的欧美文明圈。
以东亚文明圈为例:
东亚文明圈以中国文化圈为中心,内部还存在着如日本、朝鲜、满洲、蒙古、西域、西藏、云南、越南等诸多文化圈。
本质上文化圈的地位是平等的,但历史上却是中国取得了主导地位。
而像蒙古,西域之类的还同时属于北亚文明圈,西藏则同属南亚文明圈。
统治整个文明圈的共同原理则是儒教的社会秩序、汉字系统的文字和知识体系、大乘佛教、以中华
帝国为中心的共同世界观,共同的律令制国家体制……
然后最重要的一点,历史的一致性,都活动在同一历史背景下。
其他的文明圈同理。
比如说现代的欧美文明圈,里面有西欧、中欧、东欧、南欧、俄罗斯、高加索地区、北美、中美、
加勒比海、南美、巴西、澳大利亚·新西兰等等诸多文化圈。
统治的原理第一是基督教,其次是现代主义及其他各种特性。历史的一致性。
同时也包含了同属其他文明圈的文化圈。

为了深水区而来 发表于 2011-11-22 09:52

マフムード 2004/04/21 12:04↑
推敲不足・・・・・・
見苦しくてすみません。
马哈茂德

考虑得不是很周到……
写得不好抱歉。 マフムード 2004/04/21 12:08
文明圏の定義は「世界観の共有」と「歴史的な一体性」です。
世界観はキリスト教やイスラームのような高度宗教の形で
結晶して現れることが多いものの、それは絶対ではありません。
東アジアの独特性、近代欧米の合理主義的発想・・・・・・それらもまた「世界観」の一種です。
马哈茂德

文明圈的定义是“共同的世界观”和“历史的一致性”。
世界观多数都以如基督教,伊斯兰教这样的高度宗教化的形式表现出来,但这也不是绝对的。
东亚的独特性,现代欧美理性主义的构想……这些同样也是世界观的一种。
ty270410 2004/04/21 14:20
脱線を許してください!
>>7
従来の欧米人の文明論や日本におけるその亜流に飽き足らぬものを
感じていましたが,マフムードさんの構想は見事です.
「文明圏」と「文化圏」にわける重層構造としてとらえる,そして
全世界を包含するという構想ですね!
先人の説では,全世界を包含できず,話題性のあるものからの
思いつき,つまみ食いという印象が拭えませんでした.
マフムードさんの説は,
トリビアリズム(些末的なこと)とパースペクティブ(鳥瞰的に
全体を見ること)の両方に包括しておられるのは凄いです.
別のスレッドでお若い由の発言がありましたが,将来が楽しみ
です.
失礼があったらお許しください.
ty270410

请允许我跑一下题!
回复7楼
我以前就不满足于日本只是跟在欧美人屁股后面人云亦云,包括文明论。
马哈茂德先生把文明圈和文化圈区分开来,形成多层构造,然后再把全世界都套里面去。这个 构想很了不起!
前人的学说并不能适用于全世界,因为有很多具有争议性的观点存在,总摆脱不了管中窥豹只见一斑的印象。
而马哈茂德先生的理论则同时包括了细微琐碎和鸟瞰全局两方面,真是了不起。
我在别的帖子上曾有过一些幼稚的发言,希望以后能向马哈茂德先生看齐。
失礼之处还望见谅。
マフムード 2004/04/23 07:42
過大なお言葉、ありがとうございます。失礼なんてとんでもない!
ほんの思いつきみたいなもので、お恥ずかしいというか、
まだ他人様に見せられるほど練った考えではないのですが・・・・・・
日本についていえば、日本は本来中国文化圏を中心とする「東アジア文明圏」を
構成する「文化圏」の一つと見なせます。
わたしは日本文化圏の原型が成立したのは、大和政権が列島主要部に
安定した主権を確立した6世紀末頃のことと考えています。
この頃大陸、つまり中国文化圏や朝鮮文化圏から強い影響を受けましたが、
それで日本文化圏の独自性が揺らぐことはありませんでした。
他の文化圏から影響を受けるにしても、全くフィルターにかけずに
そのまま透過させてしまう訳ではなく、やはり取捨選択や葛藤を経ての事である筈です。
それがもっとも顕著に表れたのが、あの有名な蘇我と物部の廃仏論争です。
これは中国文化からの影響に大して日本文化がどう対応するかという
問題を巡ってのものといえます。
その後も例えば鎌倉新仏教などは明らかに本来のインド仏教とも違うし、
中国仏教とも違う。日本独自のものです。
結論からいうと、全ての文化圏は周辺に一定の影響力を放射しており、
その中で際立って強い放射をするものが、「文明圏」の中心となる。
しかし各文化圏は本来同等で、中国のような中枢文化圏と日本のような周辺文化圏の違いは
純粋に放射力の数量的な差に過ぎません。質の次元が違うわけではありません。
従って日本は独立した文明ではないにしても、中国の亜流というわけでもないと思います。
马哈茂德

评价过分了,谢谢。没有什么好失礼的!
只是一点小小的想法而已,还没经过其他人的斟酌考量,不是什么成熟的想法,我都不好意思了。
说说日本吧,日本一直以来就被视作是以中国文化圈为中心的东亚文明圈的其中一个构成文化圈。
我认为日本文化圈的原型成立于公元6世纪末期左右,这一时期正是大和政权在日本列岛主要部位确立了稳定的主权的时候。
这一时期,日本受到了从大陆,也就是从中国文化圈和朝鲜文化圈带来的巨大影响,但是这并没有因此动摇日本文化圈的独立性。
即使受到了其他文化圈的影响,但也不可能就这样不加过滤就完全照搬,其中应该经历了取舍选择和纠葛斗争。
其中最显著的表现就是那著名的苏我氏和物部氏的废佛争论。
那次争论的问题就是围绕着日本文化如何应对中国文化带过来的影响。
随后的佛教比如镰仓新佛教等很明显既不同于原来的印度佛教,也跟中国佛教有区别,是日本独自的东西。
从结论上说,所有文化圈都会对周边地区辐射出一定的影响力,这其中能辐射出巨大而显著的影响力的,就会成为文明圈的中心。
但是各个文化圈理应是平等的,像中国这样的中枢文化圈跟日本这样的周边文化圈的不同之处不过是纯粹的辐射力的数量上的差距罢了。并没有质的不同。
因此就算日本不是独立的文明,也绝非是中国的模仿者。
マフムード 2004/04/23 07:44↑
の説の論証については今後の課題です・・・・・・(汗)
马哈茂德

论证这个学说那就是以后的课题了……(汗)
マフムード 2004/04/23 12:36
>>11
ごめんなさい。「過大」→「過分」です。
言葉をひとつ間違えただけで、とても失礼になってしまいました(汗)。
马哈茂德

回复11楼
抱歉。“过分”应该是“过高”。
弄错词语了,真的是非常抱歉。(汗)
一点紅 2004/05/04 08:41
>>0 日本文明?(爆笑)
  お前は正気がい?__こんなこと堂々と書くな、恥ずかしいぞ!!!
一点紅

回复0楼 
日本文明?(爆笑)
你是脑子还正常吧?一本正经的写下这玩意儿,丢不丢人啊!!!  
一点紅 2004/05/04 08:46
>日本は1国でひとつの文明を持つ孤独な国だという。
  ↑じゃ 詳しく話せよ__日本「独自」之文化はどこなのか、なんなのか?
一点紅

引用回复“一个国家独有一种文明,日本就是这样一个孤独的国家。”
↑那么,你来详细说明一下吧。日本“独自”的文化在那里?都有些什么? 
[16] ムフタシブ 2004/05/05 03:51
はじめまして。
いろいろ面白い議論を読ませていただきましたが、「文化圏」「文明圏」を地域で分けることについて、少し考えてみました。例えば中国について
>文明圏を束ねる共通原理は儒教的社会秩序、漢字系統の文字と知識体系、大乗仏教、
>中華帝国を中心とする世界観の共有、律令制国家体制の共有・・・・・・
とありますが、実は中国本土では、儒教原理が社会に浸透してくるのは恐らく明代以降で、それ以前はほとんど仏教の世界だった。科挙官僚がひたすら儒教的観点から述べ立てていて、我々はそれを見ているわけですが。それから隋唐以前の華南は、都市以外ほとんど非漢民族で儒教とは無縁で、おそらくアミニズムの世界だった。あと、律令は行政の側面だけで、社会生活にはあまり関係ないかもしれない。網野善彦氏(亡くなってしまって悲しい)が描くアウトローの世界があるわけですから、地域によって文化・文明が分かれる、ということに加えて、何か社会層であるとか政治的グループ(官僚)によって分かれる、という点もなんとか加味できないでしょうか。
ムフタシブ

初次见面
很有意思,各种各样的讨论都看完了。关于文化圈和文明圈的地域区分我尝试思考了一下,以中国为例说说我的看法
引用回复
>统治整个文明圈的共同原理则是儒教的社会秩序、汉字系统的文字和知识体系、大乘佛教、以中华
>帝国为中心的共同世界观,共同的律令制国家体制……
实际上在中国本土,儒教原理渗透到全社会恐怕要算到明代之后了,在这之前基本上是佛教的世界。虽然那些科举官僚只顾一味的从儒教的观点出发喋喋不休,这点我们应该很了解了。而在隋唐以前的华南地区,城市以外的非汉人基本上与儒教是扯不上关系的,恐怕那里还是属于巫蛊(万物有灵论)的世界。还有,律令只是行政的一个侧面,估计跟社会生活也扯不上太大关系,因为在纲野善彦(已经去世了,悲痛)的描述中就有一个无法无天的世界存在。在根据地域来划分文化和文明这一条上再加上一条怎么样,以存在什么社会阶层和政治官僚来划分之类的。
[17] 一点紅 2004/05/05 04:15
儒教は仏教之前と想うのですが・・・・
明代以降ということになるのなら「清」「中華民国」「中華人民共和国」がい?
いまの中国は儒教社会じゃないから__民国も違うし__ってことは清?清は儒教社会とは想いませんが、なぜそう想うの?理由は・・
一点紅

儒教不是在佛教之前吗…
如果说明代之后那就是“清”,“中华民国”,“中华人民共和国”了?
因为现在的中国不是儒教社会,民国也不是,也就是说你认为清是儒教社会了,为什么会这么认为?理由呢…
[18] ムフタシブ 2004/05/05 06:05
儒教が非エリートに本格的に浸透したのは、洪武帝以降徹底的にやったからです。廟を壊したり。唐以前の儒教なんて、クンコ学程度でしょう。逆に言えば、パワフルな宗教がなかったから、魏晋南北朝期に爆発的に仏教が浸透したということです。クマラージュと孔子のどちらが先かということは、あまり関係ないと思います。
「以降」という言葉は、それ自身を含むわけですから、明は含まれます。
どの面で儒教・非儒教というかによるけど、家族制度だったら民国は勿論儒教社会だし、政治文化的には今の中国も儒教社会じゃないですか?信仰対象という点ではもちろん、儒教以外も混在してます。ちょっと田舎に行けば分かりますが、儒教の廟もあるし、お寺もたくさんあるし、道教もあるし、キリスト教もあるし。
ムフタシブ

儒教正式的渗透到非精英阶层是洪武帝之后才彻底完成的。唐以前的儒教无非就是训诂学这种程度。反过来说正是因为没有强有力的宗教,所以在魏晋南北朝时期佛教才会出现爆发式的渗透与传播。这跟鸠摩罗什和孔子那个在前面没有多大关系。
我说“之后”,是包含了明代本身在内的。
哪一个方面来区分儒教和非儒教?如果说家族制度的话民国毫无疑问就是儒教社会,以政治文化而言当今的中国不也是儒教社会吗?在信仰的对象这一点上当然还有儒教以外的宗教混杂存在着。去农村走一趟就明白了,那里有儒教的庙宇,有很多寺庙,也有道教的,还有基督教的。
(鸠摩罗什,东晋时后秦高僧,著名的佛经翻译家。与真谛、玄奘并称为中国佛教三大翻译家。译者注)
[19] 一点紅 2004/05/05 06:27
>家族制度だったら民国は勿論儒教社会
  ↑家族制度ならどの時代の中国も儒教です。。当然今もです。。
  仏教見たいの宗教的な信仰性の高い感じは特にないけと__論理、道徳の面ではずっと(どの時代も)儒教だと想うのですが。。
>政治文化的には今の中国も儒教社会じゃないですか?
  ↑儒教で言うのはある意味では理想論、天説みたいなところはあるから政治には無理とは想うのですが。。
  それに「儒教社会」で言うのは。。国の政策で普及したから「儒教社会」ではないと私は想うのですが。
「社会」之取られ方によるけと。中国はず〜〜と「儒教社会」と考えても間違ってはないと想うのですが。
>儒教以外も混在してます。ちょっと田舎に行けば分かりますが、儒教の廟もあるし、お寺もたくさんあるし、道教もあるし、キリスト教もあるし。
  ↑あるな。。。別に田舎じゃなくでも・・・あるけとな!
一点紅

>如果说家族制度的话民国毫无疑问就是儒教社会。
↑如果说家族制度的话不管那个时代的中国都是儒教....现在当然也是....
儒教没有像佛教这样的在宗教信仰性上的强烈感觉,(无论那个时代)我认为儒教始终都是关于伦理,道德这一面的。
>以政治文化而言当今的中国不也是儒教社会吗?
↑儒教在政治方面主张的是理想论和天人学说之类的,以政治而言当今的中国不能称作是儒教社会。
而且说到儒教社会,我不认为儒教要由国家制定政策普及之后才算做是儒教社会。
从社会接受认同了儒教这点考虑,我认为中国一直都是儒教社会。
>在信仰的对象这一点上当然还有儒教以外的宗教混杂存在着。去农村走一趟就明白了,那里有儒教的庙宇,有很多寺庙,也有道教的,还有基督教的。
↑是有....就算不用特别的去农村也一样有....
[20] マフムード 2004/05/05 06:58
どうも。
わたしはあまり度々顔を出せないので、議論にまともに
加われそうにないですが、少し補足します。
正直に言うと上でわたしの書いた仮説は、本当に単なる思い付きみたいなもので、
あまり細かいことは考えていませんでした。
>とありますが、実は中国本土では、儒教原理が社会に浸透してくるのは恐らく明代以降で、
>それ以前はほとんど仏教の世界だった。科挙官僚がひたすら儒教的観点から述べ立てていて、
>我々はそれを見ているわけですが。それから隋唐以前の華南は、都市以外ほとんど非漢民族で儒教とは無縁で、
>おそらくアミニズムの世界だった。あと、律令は行政の側面だけで、社会生活にはあまり関係ないかもしれない。
>網野善彦氏(亡くなってしまって悲しい)が描くアウトローの世界があるわけですから、
>地域によって文化・文明が分かれる、ということに加えて、
>何か社会層であるとか政治的グループ(官僚)によって分かれる、
>という点もなんとか加味できないでしょうか。
儒教・儒学の原理が民衆レベルに本格的に浸透していくのが明以降ということを仰っているようですが、
それは確かにそのとおりだと思います。
洪武帝が村の父老を取り込んで、民衆に教訓を垂れたりしたわけですからね。
ただわたしのいう「文化」とか「文明」というのは、そういう民衆の心性とか
あるいは建築・絵画・文芸など一般に「文化事象」とされるものの体系を指すというより、
むしろ政治的経済的に長期間ひとつのネットワークを形成してきた
歴史単位を便宜上そう呼んでいるものなのです。
あまり適切な用語とはおもわないのですが、他にいいものが見つからなかったので・・・・・・
歴史は支配階級(中国なら士大夫層)だけのものではないし、
中国大陸に居住するのは決して漢民族だけではない。また歴史は政治史だけではない。
それはそのとおりですが、実際に目に見えるところでイニシアティブを取ってきたのは
しばしば支配階層であり、その記録の集積が政治史であり、
そこに視点を定めるのが、今のところ一つの文化圏の全体的な歴史像を把握する上で
もっとも容易な方法ではないかと考えたまでです。
だから士大夫の行動原理である儒教・儒学の思想も中国文化圏(歴史的な「中国地域圏」)の特色だし、
また大乗仏教や道教の思想世界もまた「中国文化圏」の特色として考えられます。
わたしはそれらが渾然一体となってひとつの体系を形成しているのが、
「思想文化的側面から見た」中国「歴史圏」だと考えています。
马哈茂德

不好意思。
因为我不怎么经常上网正正经经的参加讨论,所以稍微补充一下。
引用回复16楼
儒教或者说是儒学正式的深入到普通百姓中去是明代以后的事的这种说法,我也认为确实如此。
洪武帝为了拉拢乡村父老的民心,所以用儒学去教化民众。
但是我说的文化,文明这些词,并不是指百姓的心性或者是建筑,绘画,文艺这种被普遍认为是文化现象的体系。
而是指对政治经济上长期以来以形成的这个网络,对这个历史单位的方便上的称呼。
想不到什么合适的措词,不知道该怎么说.....
历史并不只是属于统治阶级的(中国的是士大夫阶层)。
在中国大陆居住的也绝不仅仅是汉族。而历史也不仅仅是政治史。
尽管道理是这样,但是就我所看到的,取得主动权的往往还是统治阶层,聚集成堆的记载仍然全是政治史。
所以把政治史定为一个视点,在这个视点上再去把握一个文化圈的全体历史现象不是一种更加容易的方法吗?
因此,不仅儒教或者说儒学这种士大夫的行动原理是中国文化圈(历史上的中国地域圈)的特色,大乘佛教和
道教的思想世界同样也被认为是中国文化圈的特色。
这些都浑然一体的形成了一个体系,我想这就是从思想文化这一面上看到的中国历史圈。
[21] マフムード 2004/05/05 07:14
それと
>地域によって文化・文明が分かれる、ということ
ですね。これは一応考えてあります。
わたしは先に「東アジア文明圏は中国文化圏を中核に日本、朝鮮、満州・・・・・・」
という風にいくつかの文化圏の名をあげましたが、
これは別に常にこのように固定されていたというわけではありません。
そもそも黄河と長江の流域に原初的文化が発生した段階で
日本や朝鮮や満州にそれと同列に論じられるような
高度社会が成立していたわけではありませんしね。
「中国歴史圏」の歴史をわたしは次のように考えています。
まず四〜五千年ほど前に「黄河文化圏」と「長江文化圏」が合い並んで生まれました。
この「生まれた」というのは、未組織の諸社会集団が次第に統合され、
政治的一体化(言い換えれば部族集団から集落、都市国家、領域国家への発展)
が進行し、また技術や(一般的用法における)文化が発達した・・・・・・などということです。
こうしたプロセスを経て、黄河流域と長江流域に、
広範囲にわたって均一性の高い社会と文化を持ち、「歴史を共有する」集団が形成されたということです。
その後諸国家が形成され、王朝(夏や周)を築いたり、角逐を繰り返したりします。
その間じわじわとではありますが、二つの文化圏自体の領域も四方に拡大していきます。
長江文化圏は四川に広がって「三星堆文化」を築いたり、越の諸部族から
その南のビン越方面に影響を及ぼしていったり・・・・・・
黄河文化圏の方は、西方系の周族が中原に進出して商(殷)王朝を倒したものの、
文化的にはむしろ中原=黄河文化圏の一員として取り込まれます。
そして山東の諸部族や遼東方面に影響圏を拡張・・・・・・。
马哈茂德

还有
关于根据地域来划分文化,文明,我也大体上思考过了。
我之前说过“东亚文明圈是以中国文化圈为核心,包括了日本,朝鲜,满洲....”等若干个著名的文化圈。
但这通常并不是固定不变的,像以前黄河流域和长江流域原始文化的诞生阶段,日本,朝鲜和满洲并不能与之相提并论,因为还没有形成高级的社会。
中国历史圈的历史我是这么看的,如下。
首先在四五千年以前,黄河文化圈和长江文化圈一同诞生了。这个“诞生”的意思是说,没有组织的各个社会集团相继被吞并并且开始了政治一体化的进程,(换句话说就是从部落向部落联盟,城邦国家,领土国家发展)而技术和文化也随之发达了起来。
就这样经过了这种过程,在黄河流域和长江流的广大范围内,具有高度同一性的社会和文化,拥有共同的历史背景的集团形成了。
然后产生了各个国家,王朝建立了起来(夏和周),不停的重复着逐鹿天下的戏码。
期间渐渐的,两个文化圈自身开始向四周扩大了。
长江文化圈扩展到四川建立起了“三星堆文化”,越的各个部落开始影响到了南方的闽越....
黄河文化圈这边,虽然说西方系的周族进入了中原并且打到了商(殷)王朝,在文化上,不如说这是被中原也就是黄河文化圈吞并了。 接着黄河文化圈更是向山东的各个部落和辽东方面扩张了影响的范围。
22] �点紅 2004/05/05 07:23
そうだな中華文化は一つの民族、独自の文化ではないと私もそう想うな。。
っま だから「中華」になるのです。。。別にどっかの馬鹿が言ってるような自大なものではなく。
っま どの文化も純独自ではありえませんから__定説だわ!
一点紅

没错我也是这么想的,中华文化不是单一民族,单独的文化。
所以,中华才成为了中华...
并不像那个不知道哪儿来的傻帽说得那样自大,因为不管那个文化都不存在所谓的纯粹独自。 这是定论了!
[23] マフムード 2004/05/05 07:30
楚か、呉か、越か、どこかは覚えていませんが、南方のある王は
「我は蛮夷なり、中国の号諡に与らず」と述べたそうですが、
これは黄河圏の周王王権があくまで黄河文化圏内で権威を持つもので、
南方の長江文化圏にとっては所詮「川向こうの外国の酋長」という
意味合いしかなかったことを示していると思います。
この二つの文化圏が本格的に衝突しはじめるのは戦国時代以降です。
南の大国楚と、北の中原諸国は激しい争いを繰り返し、
最終的に始皇帝の秦が諸国を統一。
この時彼は黄河と長江という二つの異なる歴史世界を統合しようとしたわけです。
始皇帝の死後、天下を窺った覇王項羽が南方の楚人であるということは象徴的です。
もし項羽が天下を取ったら、中国は再び黄河流域と長江流域に分解したかもしれません。
生態学的にも、准河の南北でまるで別の世界だと、よくいわれます。
ところが実際には、項羽を劉邦が破り、かれは黄河流域の長安に帝国の中心を置いて、
黄河文化圏主導型の中国統合を進めます。
その過程で、南方百越の諸部族、華南の南越国、福建方面のビン越諸部族などは
どんどん黄河地域主導の漢帝国世界秩序の中に取り込まれていきました。
そして最終的に漢の武帝の頃には、ほぼ中国は黄河・長江両文化圏が黄河文化圏主導のもとに
一体化された新しい一つの文化圏=「中国文化圏」として確立します。
その後、後漢末から南北朝にかけて長江流域に多くの漢民族が移住し、この地に
北方の黄河文化圏的要素を持ち込みました。
一方華北には北方民族が侵入し、一時「中国文化圏」が長江地域に、
「北朝文化圏」が黄河流域に並立します。このように文化圏は移動することがあります。
やがて北朝の隋の文帝が天下を再統一し、北朝的要素が主導して、
南方の「中国文化圏」と融合していきます。これが隋唐時代です。
しかし伝統的「中国文化」が断絶したわけではないので、中身はかなり変質したものの、
名前は「中国文化圏」のままです。
马哈茂德

忘了是楚还是吴还是越了,貌似南方有个王说过“我蛮夷也,不与中国之号谥”这句话。
因为黄河圈的周王王权已经彻底的在黄河文化圈内树立了权威,所以对于南方的长江文化圈来说,也只有
表明周王终归只是一个“对岸的外国的酋长”这种含义了。
这两个文化圈开始正式的发生冲突是在战国时代之后。
南方的大国楚国跟北方的中原各国反复进行着激烈的争夺。
最终秦始皇的秦国统一了各国。
这个时候秦始皇开始合并黄河和长江两个不同的历史世界。秦始皇死后,窥伺天下的霸王项羽就是南方楚人的象征。
如果项羽取得了天下,中国说不定会再度分解成黄河流域和长江流域。
在生态学上,常常也说淮河的南北仿佛就是不同的世界。
然而事实就是,项羽被刘邦打败了,刘邦把帝国的中心放在了黄河流域的长安,中国的统一向着黄河文化圈主导型的方向前进。
在这个过程中,南方的百越各部族,华南的南越国,福建方面的闽越各部族等渐渐的被吞并到以黄河地域为主导的汉帝国的世界秩序之中。
接着终于在汉武帝的时候,以黄河文化圈为主导,中国大致的把黄河和长江两个文化圈重新一体化,最终确立了一个新的文化圈,中国文化圈。
随后,从后汉末年直到南北朝,大量的汉族往长江流域迁徙,给这个地方带来了北方黄河文化圈的要素。
一方面华北被北方的民族侵入,另一方面当时的中国文化圈在长江流域和黄河流域的北朝文化圈并立。就是这样文化圈移动了。
不久北朝的隋文帝再次统一天下,以北朝要素为主导,融合了南方的中国文化圈,这就是隋唐时代了。
传统的中国文化虽然没有断绝,但是其本质内容已经有相当大的变质了,不过名字仍然是中国文化圈。
当周夷王之时,王室微,诸侯或不朝,相伐。
熊渠曰:“我蛮夷也,不与中国之号谥。”乃立其长子康为句亶王,中子红为鄂王,少子执疵为越章王,皆在江上楚蛮之地。
(史记,楚世家)译者注
[24] マフムード 2004/05/05 07:41
このように、中国は歴史を通じて多様な要素を融合一体化しつつ
形成されてきた歴史世界なのです。
本来黄河と長江は別の「世界」(文化圏)だというのが原型としてあるわけですが、
春秋戦国時代の政治力学の赴くところ、秦が二つの文化圏を武力統一し、
一度統一してしまった以上はしょうがない、始皇帝は頑張って二つを一つに統合しようとしました。
その後一時解体の危機に瀕したものの、文明史的には大して必然的でもない
政治的情勢の推移によって二つの地域にまたがる統一帝国がその後数百年間続きます。
帝国統治下で両文化圏は融合していきました。
武帝以来、漢帝国が「儒教」というかなり強固な支配イデオロギーを採用し、
この「儒教」と「法家」の方法論を使い分けつつ両文化圏の要素を内部で環流させ続けたからです。
要するに統一された「中国」は元々偶然と、始皇帝および武帝という個人の
強引な力技で作られたものです。
しかし二千年も続くうちに、いつしか中国は黄河も長江もない、
統一された一つの世界だというのが常態と化していったわけです。
でも本来別々の要素が合体している構造ですから、やはり内部的には
様々な面にわたって、南北でかなりの差異があります。
時にはそれが現実の歴史事象の中に浮かび上がってくることもあるというわけです。
马哈茂德

就是这样,通过历史将多种要素融合成一体,中国就是在这进程中形成了一个历史世界。
本来作为原型来说黄河和长江是不同的两个世界(文化圈)。
春秋战国的时代潮流是政治力学,秦国顺势把两个文化圈以武力统一了。
既然已经统一了那就没办法了,秦始皇很努力的想要把两个文化圈向着一个合并。
随后有一段时期虽然面临过解体的危机,但是在文明史上这已经不是什么必然趋势了。
随着政治形式的推移,这个横跨两个地域的统一帝国向后延续了数百年时间。
在帝国统治下,两个文化圈融合起来了。
武帝之后,汉帝国采用了儒教这种相当坚固的统治思想,一边灵活的运用着儒教和法家这两种工具,
另一边两个文化圈的要素也在内部持续的循环交流着。
总之,统一的中国原本是一个偶然,是在秦始皇和汉武帝个人的强制的技力作用下产生的。
但是在持续了两千年之后,不知不觉的中国已经变得既不是黄河也不是长江,而一个统一了的世界也成为了常态。
但因为中国本来是分别由各种要素融合构建而成,所以内部还是有着各种各样不同的一面,南北也有着相当大的差异。
这些偶尔也会从现实的历史现象中浮起,展现在我们眼前。
マフムード 2004/05/05 08:07
そしてもうひとつ。
>そうだな中華文化は一つの民族、独自の文化ではないと私もそう想うな。。
>っま だから「中華」になるのです。。。別にどっかの馬鹿が言ってるような自大なものではなく。
>っま どの文化も純独自ではありえませんから__定説だわ!
そもそもわたしの言っている「文化」は民族とはまったく無関係なものです。
中国と歴史的に呼ばれる地域(もちろん現在の「中華人民共和国」の領土のことではなく、
また歴代王朝の版図とも微妙に違います。念のため)には、
いわゆる漢民族の他にも無数の少数民族が暮らしており、
さらにその「漢民族」にしても実態は極めて怪しい。
極端な話、魏晋南北朝時代の前後で血統的には「漢民族」なる集団は完全に断絶しており、
秦漢以前の漢民族と隋以降の漢民族は全然別の集団だという説もあります。
「中国文化圏」というのは、何も漢民族がどうこうではなく、
漢民族を含む多くの民族が数千年間にわたって歴史を共有してきた
広大な地域単位のことをいっているのです。
共通の国家(王朝)のもとで生き、支配階層はどこでも漢字を使って思考し、詩作し、作文し、
儒教と律令制度の秩序が役所の事務を支配し、仏教や道観への巡礼者が行き来し、
天命を受けた皇帝が諸民族に君臨し、たとえ少数民族であっても、だれもが「中華世界の一員である」
という意識を共有する範囲——それが「歴史的単位としての中国文化圏」です。
中国が偉大だというなら、その偉大さは、
その、諸民族が共存する長い「中国世界」の歴史の中にあるものです。
马哈茂德

然后还有一点。
引用回复22楼。
没错我也是这么想的,中华文化不是单一民族,单独的文化。
所以,中华才成为了中华...
并不像那个不知道哪儿来的傻帽说得那样自大,因为不管那个文化都不存在所谓的纯粹独自。 这是定论了!
这跟我原来说的文化,民族完全没有关系。
在历史上被称之为中国的这一地域,不仅有所谓的汉族,还有其他无数的少数民族生活着。(当然不是指现在中华人民共和国的领土,而且跟历代王朝的版图也有微妙的区别)
进一步说,这个汉族的实际状况也非常奇特。
有种极端的说法,说是在魏晋南北朝前后,血统上的汉民族已经完全的灭绝了,秦汉以前的汉族跟隋唐之后的汉族完全就是两个不同的集体。
所谓的“中国文化圈”,并不是什么东西都是汉族的,而是包含了汉族在内的众多民族经过了数千年时间的历史衍变而共同拥有的,对这个广大的地域单位的称呼词。
人民在共同的国家(王朝)下生活,统治阶层不管在那里都使用汉字思考,写诗,作文。儒教和律令制度的秩序支配了政府的事务,佛教和道观的香客你来我往,受命于天的皇帝统治了各个民族,哪怕是少数民族,所有人都是中华世界的一员。
在拥有这种共同意识的范围,就是以历史单位而言的中国文化圈。
如果说中国伟大,那他的伟大之处就在各个民族共存的漫长的中国世界的历史当中。

[26] �点紅 2004/05/05 08:15
だからそうじゃないがよ??
独自な文化も民族もありえないから__日本族もそうだし。大和文化もそう。
文化之違いよって民族が分けられる。。
民族が違うから文化の独自性を強調したくなる。。
文化の違いは同然ある。。
民族の違いも同然ある。。。
だからって独自な文化あるいは民族は存在しないのです。。
文化、民族之違いを強調し出す人でただの自大しかないのです。。。
一点紅

所以不就是吗?
不可能有独自的文化或是民族,不管是日本族还是大和文化。
根据文化的不同而划分出了民族...
因为民族不同而想要强调文化的独立性..
文化的差异是如此...
民族的差异也是如此...
所以说不存在独自的文化或者说民族...
强调文化,民族间的差异的人只是自大而已。
[27] マフムード 2004/05/05 11:33
すみません、わたしの理解力不足で仰る事がよくわからないのですが、
>だからそうじゃないがよ??
>独自な文化も民族もありえないから__日本族もそうだし。大和文化もそう。
わたしが言っているのは、世界の歴史を考えるときに
便宜上世界を幾つかの大きなブロック(単位)、つまり「文明圏」とわたしが呼んでいるもの
に区分し、さらにその「文明圏」 を「文化圏」にわけてみるということです。
一般的な意味での「文化」とか「民族」とかいう用語とは、ほとんど関係ありません。
>文化之違いよって民族が分けられる。。
>民族が違うから文化の独自性を強調したくなる。。

>文化の違いは同然ある。。
>民族の違いも同然ある。。。
>だからって独自な文化あるいは民族は存在しないのです。。
文化——一般的な用法でいうなら、たとえば宗教とか文学とか芸術とか社会生活の様式とか・・・・・・
わたしはそうした文化を、「ある範囲からある範囲まではこれ」という風に
明確に一線を引いて区分できるとは思いません。
だからわたしがいうのは、あくまで過去の歴史において、
主に政治史的な側面から見て、たとえば日本は日本で動いてきたし、
朝鮮は朝鮮で、モンゴルはモンゴルで、ウイグルはウイグルでという風に
それぞれ別々のローカルな歴史を歩んできたといいたいのです。その単位が「文化圏」です。
とはいえもっと大きな視野から見れば、たとえばインド・東南アジアとか
イスラム圏とかと比較した場合、個々の文化圏を超えて、「東アジア」という地域全体を
ひとつの単位として見る必要があるかと思われます。
そこで作り出したのが「文明圏」という単位です。
马哈茂德

不好意思,我理解力有限不是很明白你说的话。
引用回复26楼
>所以不就是吗?
>不可能有独自的文化或是民族,不管是日本族还是大和文化。
我一直在说的是,在思考世界的历史的时候,为了方便起见我把世界分成了几个大型的单位,也就是我所说的“文明圈”了,把“文明圈”更进一步分开来看就是“文化圈”了。
这跟一般意义上的“文化”或者是“民族”基本没有什么关系。
引用回复26楼
>根据文化的不同而划分出了民族...
>因为民族不同而想要强调文化的独立性..
>文化的不同是如此...
>民族的不同也是如此...
>所以说不存在独自的文化或者说民族...
文化在一般的用法上说,是指例如宗教,文学,艺术,社会生活的方式之类的...
我不认同像这种文化就是“从这个范围到那个范围”明确的一条线划过的区分方式。
所以我的主张是彻底的根据过去的历史,主要是政治史这一面去看问题,比如说日本在日本的活动,朝鲜在朝鲜的,蒙古在蒙古,维吾尔在维吾尔,像这样各自在当地的历史中前进的历史就是我想要说的,它的单位就是文化圈。
但如果用更大的视野去看,比如说在比较印度,东南亚,伊斯兰圈的场合,这就超越了各个文化圈,必须要用到“东亚”这一将地域全体视作一个整体的单位了。
在这里创造出来的单位就是“文明圈”。
[28] マフムード 2004/05/05 11:33
それはまあ、日本と朝鮮と中国と、その他諸々の「文化圏」単位を比べれば
「いわゆる文化」はそれぞれ独特のものがあるでしょう。
しかしそれをいうなら日本内部にだって、たとえば関東と関西の微妙な違いがあったりする。
「文化」とか「民族」とか、曖昧でナイーブな概念を元にして世界を区分していくのは
相当な無理があると思います。だからわたしは政治史的なアプローチを試みたのです。
たとえば雲南地方は歴史的に、
漢の時代の東南夷、三国時代の南中、唐の時代の南詔国、宋の時代の大理国という風に独立政治単位が次々興亡したでしょう?
現在は中華人民共和国の省ですが、歴史を通じて見れば、中国文化圏(歴史圏)とは別個のリズムで動いている。
何でかといえば、地形が険阻で気候が湿潤で、漢民族およびその国家の進出を阻んだからです。
当然中国本土とは違う独自の文化を持っている。
でも、それを理由にしてわたしが雲南を独自の文化圏として設定したわけではありません。
1.地形が険阻だから独立政治単位が長く興亡し、独自の歴史を歩み、独自の文化圏として設定された。
2.地形が険阻だから独自の文化が長く残り、独自の民族が存続した。
1と2は別々のことです。たまたま一致しただけです。
たとえば西アジアで、たとえ構成する人間が西欧人で文化が西欧風だったとしても、
わたしは中世の「十字軍諸国」を南欧や西欧ではなく「シリア文化圏」に所属させます。
なぜなら彼らは当時、実質的にシリアの政治勢力のひとつであり、シリアの歴史リズムに従っていたからです。
马哈茂德

那么,如果比较一下日本,朝鲜,中国还有诸多的文化圈,就会发现各有各的独特的东西。
但是要这么说的话就算在日本内部也一样啊,比如说关东和关西就有微妙的区别。
文化也好民族也好,想用这种天真的概念模糊的将世界重新划分真是一件相当苦难的事。所以我试着从政治史着手探讨一二。
以历史上的云南地区为例子
云南地区是汉代的东南夷,三国时代的南中,唐代的南诏国,宋代的大理国,这些独立的政治单位就是这样相继的兴亡的。
虽然现在是中华人民共和国的一个省,但是如果透过历史去看的话,就会发现它跟中国文化圈(历史圈)不是以同一个节奏活动的。
如果问为什么的话,是因为云南的地形险阻气候潮湿,阻止了汉族及其国家进出该地区。
所以理所当然的拥有着跟中国本土不同的独特文化。
但是,这也不是我把云南设为单独的文化圈的理由。
1,是因为地形险阻,独立的政治单位长期的兴亡交替,独自运行的历史,所以我把它设为单独的文化圈。
2,是因为地形险阻,长期的保留了独自的文化,独自的民族仍然延续了下来。
1和2是不同的,只是偶尔也会一致。
比如说西亚,哪怕构成的人是西欧人文化也是西欧风格的也好,我没有把中世纪的“十字军诸国”分到南欧或者是西欧里去,而是分到了叙利亚文化圈去了。
因为他们当时实质上是叙利亚政治势力的一员,因而遵从于叙利亚的历史节奏活动。
 
  

山谷道人 发表于 2011-11-22 10:44

看了一下日本的评论,发现很多人日本人对中国的历史比中国国内很多人都更了解,说实在的虽然不喜欢日本,但是日本人这种学习态度值得中国国民学习!

Bolivarism 发表于 2011-11-22 18:07

马哈茂德是历史强人!

Bolivarism 发表于 2011-11-22 18:13

问一下,ヒンドゥー和インド可以互换吗?

肥皂大叔 发表于 2011-11-22 20:51

先留名,过一会儿再看

zjunchoon 发表于 2011-11-23 15:32

欣赏的是即便如何歪曲,他们也是用温和的语言在讨论,而不是像国内的论坛那样叫嚣谩骂。而且资料充足,讨论翔实。
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