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西藏农奴的今和昔 [这里是人间的地狱]

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发表于 2009-3-4 09:47 | 显示全部楼层 |阅读模式


【3月4日8時0分配信 サーチナ】西藏农奴的今和昔 [这里是人间的地狱]
【标题】西藏农奴的今和昔 [这里是人间的地狱]
【来源】http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090304-00000008-scn-cn
【翻译】ganlihutai
【原文及译文】
【中国】マイカー保有台数、約1.3億
チベット元農奴が語る今と昔、「この世の地獄だった」
シガツェ地区にあるパイラ荘園は、チベットで最も完全な形で残る奴隷領主の荘園である。ここでは過去の領主が私設した監獄や多種にわたる刑具、農奴の住まいなどが今でも目にすることができ、旧チベットの縮図だといわれている
今でもこの荘園の付近には当時農奴だった一部の人々が住んでいる。今年で75歳になるミマドンジュさんの家は壁一つ隔てて、悲惨な経験をしたパイラ荘園と向き合っている。ミマドンジュさんは「そこはこの世の地獄、まさに別の世界だ」と語る。
 ◆振り返るのが耐え難い生活
 ミマドンジュさん夫妻はかつて農奴で、夫は荘園で衣服の仕立人、妻は使用人をしていた。二人がかつて住んでいたのは、荘園の中の7平方メートル余りの小屋だった。「暗くひんやりして、昼間でも物ははっきり見えなかった」。地面に土を盛って“ベッド”を2つ作り、住むこと11年。
 娘が生まれると、3人は狭い小屋で肩を寄せ合い、ぼろぼろになった2枚の羊の皮で温まり、寝た。お腹は満たされず、着る物も寒さをしのげず、これがミマドンジュさん一家の普段の生活だった。農奴の食物は毎月、わずか2.5-30キログラムのハダカムギだけ。一家は計画を立てて食物を口にし、ひもじければ、水を飲んだ。
 旧チベットでは、領主が仕置場を私設して、農奴を殴ったり、危害を加えたりすることは日常茶飯事だった。ミマドンジュさん夫婦も幾度となく殴られた。妻はある日、荘園主の夫人の世話にあたっていた時、不注意でグラスを割ってしまい、目付け役に皮の鞭で顔をしたたかに打たれたことがある。
 ◆幸せで農地に酔いつぶれる
 チベットでは1956年、各地で相次いで民主革命が行われ、数多くの農奴が人身の自由を束縛していた足かせから抜け出し、生産・生活手段を手にし、真に解放されて主人となった。
 ミマドンジュさん今でも記憶している。59年秋の豊作時、畑はハダカムギが立派に生長していた。この年、パイラ荘園の土地・財産を分配する大会が開かれ、全郷(村)から500人余りが参加した。
 一人あたり7畝(1畝=15分の1ヘクタール)の規定に沿って、ミマドンジュさんには一家3人分として21畝の土地が分け与えられた。このほか、およそ168キログラムの穀物や掛け布団、衣料品などの生活用品が配分された。
 土地の配分は、当時最も公平だとされる方式で行われた。すべての土地を区画して番号をふり、担当者が小さな紙にその番号を書き、それを丸めて帽子の中に入れる。そして、地元の住民が帽子の中にある紙をつかみとる。そうすることで、住民は自分の土地がどこにあるかを知り、自分の土地に、名前と畝数を明記した木製の札を掲げるという仕組みだ。
 一枚の紙、一つの札、最も簡単な民主形式がチベットの歴史に新たな一頁を切り開いた。「土地を分け与えられて、みんな喜んだ。30人の農奴の仲間がハダカムギで作った酒を求めに来た。ここに座り、酒を飲みながら祝った。その日の午後はみんなが至極の酒を飲み、最後には農地に酔い倒れたものだ」
 ◆新生活では選択する権利が
 ミマドンジュさんは「農奴には人身の自由はなく、荘園主の絶対的支配下にあった。自分だけでなく、孫の世代さえも一生うだつが上がらなかった。土地と財産が分与されてからは、自分が努力しさえすれば、よい生活が送れることがわかった」と言う。
 2000年、ミマドンジュさんは政府の助成を受けて乳牛を購入し、牛飼育の専業農家になった。4頭いる乳牛による純年収は5000元(約7万円)。牛舎の建設でも政府の支援を受けた。現在、33畝の土地を持ち、優良品種のハダカムギを普及させているところだ。1畝あたりの年間生産量は350キログラム。「今ではコメなどの穀物が十分あるし、食べきれないほどだ。もうすこし長生きして、もう少し今の生活を味わいたい。昔はかなり苦しかったからね」とミヤドンジュさんは笑った。写真はチベットを象徴する建築物、ポタラ宮の前で笑顔を見せるチベット族の男性。

※この記事は、「中国網(チャイナネット)日本語版」による提供です。中国網は中国国務院新聞弁公室の指導を受けて、中国互聯網新聞中心が各国語で運営する、中国政府による中国情報ポータルサイトです。



译文:
西藏农奴的今和昔 [这里是人间的地狱]
日喀则地区有一个庄园,是完整残留西藏过去农历领主的庄园,这里过去设有很多领主的私牢和各种各样的刑具,虽然现在没有了农奴但是这里是一个缩影。
现在庄园附近居住着当时的一部分农奴,今年75岁的米玛[音译]一家就住在一墙之隔,在庄园内有着悲惨经历,米玛说[这里是人间地狱,就好像是别的世界一样]。
难以忍受的艰苦生活
米玛夫妻原来是农奴,丈夫是庄园的裁缝,妻子是佣人,两人住在庄园里的一间不足7平米的小屋内[非常的昏暗,即使白天什么都看不见],用土做成的床,在那里居住了11年。
生了女儿后,3人继续在这间小屋居住,用两张破烂的羊皮当被子睡觉,吃不饱穿不暖,这就是米玛家的真实写照,农奴的粮食每月只有可怜的2.5-30公斤青稞。一家需要计划着吃,要不然饿了只能喝水。
旧西藏,领主设有私刑室,殴打农奴,如同家常便饭。米玛夫妇曾经多次被殴打,妻子有一天,服侍庄园主的夫人,不小心把玻璃打破了,被用皮鞭抽打脸部。
幸福的醉倒在农田里:
西藏1956年,各地相继进行了民主革命,大多数农奴从人身自由束缚中解放出来,生产和生活都为了自己,真正变成了主人。
米玛现在还记得,59年秋天丰收时。田里的青稞茁壮的成长着,这一年,庄园的土地财产进行了公开分配,全村500余人参加。
一人分7亩,米玛一家分了21亩土地,除了这些,还分得了168公斤谷物和衣料,被褥等生活用品。
土地的分配,当时采取最公平的方式进行,所有土地都计入编号,主持者把这些号码写在小纸上,然后把小纸揉成小团放入帽子里,然后让当地居民进行抽签,然后便知道自己的土地是哪里,然后把住民的名字制作成木牌,放在自己的土地里。
一张纸,一块牌,就是最简单的西藏民主通往全新的一页[分得土地后,大家欢喜。30位农民朋友们用青稞做酒,然后坐在一起,大家喝酒庆祝,直到晚上大家都喝醉在田里。]
选择新生活的权利:
米玛[农奴没有人生自由,完全被支配在农奴主的支配下,没有自我,孙子这一代真是获得了幸福,分得了土地和财产,通过自己的努力,就可以过上好的生活]
2000年,米玛接受了地方政府的援助买入乳牛,成为了奶牛养殖专家,4头奶牛的纯年收入5000元。牛棚的建设由政府进行支援,现在拥有33亩土地,广泛地种植着优质的青稞,1亩年产量为350公斤[现在稻米等谷物十分流行,经常吃的,会活的更久一些,如果不知道过去的苦,就不知道现在生活的美味]和米亚[音译]笑谈着,照片是西藏的标志性建筑,布达拉宫面前展现笑容的男人。

评分

1

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 楼主| 发表于 2009-3-4 10:43 | 显示全部楼层
没关系,只要不是作假就无所谓
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发表于 2009-3-4 13:24 | 显示全部楼层
难道LZ有参加汉化组?
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发表于 2009-3-4 19:41 | 显示全部楼层
我还正想说,难得有国外媒体如实报道西藏的今昔了。。。
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发表于 2009-3-5 05:32 | 显示全部楼层
刚纳闷呢,还好有人找到了出处。
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发表于 2009-3-5 09:41 | 显示全部楼层
和二楼有同样的感觉

版主也太敏感了,没意思
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发表于 2009-3-5 10:52 | 显示全部楼层
这个是中国人写的.风格太明显了.
不过应该是事实,达赖从来都不是什么好鸟.
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