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本帖最后由 vivicat 于 2009-7-17 19:10 编辑
中国の憲法は「各民族は平等だ」と定めている。中国は漢族と55の少数民族を「中華民族」と呼び、「民族平等」を強調している。まるで米国にいるさまざまな人種を「米国民族」と呼ぶかのようなこの単語は90年代に登場した。 中国は少数民族に対し、多くの優遇策を講じるとしている。例えば、自治政府の代表に少数民族を据えたり、公務員採用や大学入試で点数加算制や入学枠制度を導入している。漢族の夫婦が産める子供の数は1人に制限されているが、少数民族は2人以上産める。そして、少数民族の言語と宗教も尊重するとしている。少なくとも表面的には少数民族が暮らしていく上で不便はない。
しかし、事実はどうか。中国国内の55の少数民族のうち、中央政府が特に神経を使う五つの民族がいる。チベット、ウイグル、回、モンゴル、朝鮮の各民族だ。チベット族とウイグル族は独立志向の強さ、回族は外部イスラム勢力との連携可能性、モンゴル族と朝鮮族は国境の外に「母国」があるためだ。回族を除く4民族の地域で過去数十年にわたり見られる現象がある。それは漢族の人口比率が大きく増えたことだ。
一時200万人を超えた中国の朝鮮族は150万人台に減少した。韓国への労働力輸出(40万人以上)と、中国国内の大都市への移住(20万人以上)で東北3省(遼寧、吉林、黒竜江)の朝鮮族人口はさらに減った。朝鮮族が去った場所は漢族が埋めた。吉林新聞によると、延辺朝鮮族自治州の朝鮮族比率は1949年の63%から00年には38%に落ち込んだ。こうして朝鮮族の土地は漢族の手に渡った。
ところが、新疆ウイグル自治区とチベット自治区における人口構造の変化の原因は、朝鮮族(国外移住)とは異なる。今月5日に暴動が発生した新疆ウイグル自治区は、1950年代にはウイグル族など少数民族が人口の90%以上を占め、漢族は10%にすぎなかった。しかし、07年現在で漢族は40%に達した。
チベット自治区では人口の絶対多数がチベット族だが、その比率は90年の95.5%から06年には92%へと低下した。内モンゴル自治区では、共産化前の47年時点でモンゴル族(109万人)、漢族(630万人)と人口格差は521万人だったが、00年にはモンゴル族(403万人)、漢族(1882万人)で格差は1479万人に拡大した。
少数民族に子供の数の優遇を認めているにもかかわらず、漢族の比率が大きく拡大した原因は、外地からの漢族の移住だ。特に「西部大開発」戦略で、06年7月にチベット鉄道(青蔵鉄路)が開通したことが決定的な契機となった。新疆ウイグル自治区のウルムチでは90年代まで漢族は少数派だったが、09年には漢族が70%を占めるに至った。
その上、中国は東北3省で韓国史の根源である高句麗史を自国の歴史として歪曲(わいきょく)する「東北工程」を進めると同時に、ウイグル、チベット地域でも彼らの歴史、文化を抹消する「西北工程、西南工程」を進めている。チベットの宗教指導者ダライ・ラマの影響力を低下させたり、新疆で唐代の辺境開拓史を強調しているのはその一環だ。
中国の少数民族地域は国土の64%に達する。中国はこの地域に最初に人を送り込み、次に資金と技術でその地域の経済を掌握し、最後にはその土地の歴史と文化までをも否定し、「漢族の土地」へと変える戦略を密かに進めている。この現代版「人海戦術」と憲法上の「民族平等」との乖離(かいり)を中国の少数民族は不安な眼差しで見つめている。
池海範(チ・ヘボム)専門記者
http://www.chosunonline.com/news/20090715000064 (上)
http://www.chosunonline.com/news/20090715000065 (下) |
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