福島第一原発の北にある福島県南相馬市。放射能を恐れる人が次々と街を離れた。人口7万人の市に、残るのは2万人。物資の輸送が滞り、各世帯の食料は尽きかけている。市の関係者は漏らす。
位于福岛第一核电站北部的福岛县南相马市。人们害怕核辐射而纷纷逃离家园。人口7万人的南相马市现在只有2万人留下。有关系人士称现在那里物流停滞,人们已经没有吃的了。
「このままでは餓死する人が出かねない」
「避難した人も不安、残った人も不安だよ」。同市鹿島地区の農家鈴木浩さん(65)は語る。原発の半径20~30キロ圏に一部がかかる1万1千人の同地区。残っているのは1300人ほどという。
“再这样下去会有人饿死的。”
“避难而去的人不安,留下来的人也不安”南相马市鹿岛区的农民铃木浩说。同地区有1万1千人处于核电站半径20~30公里内。现在还有1300多人留在那里。
近隣の店も閉まり、食材は隣の相馬市まで車で20~30分かけて買いに行く。走行距離は平均40~50キロ。食事は自分の家で作った米と缶詰、ソーセージなどが多い。
もうすぐ種まきの時期だ。「でも、誰も買わないなら作っても意味がない。どうやって暮らしていけばいいか」
附近的商店停业,为了买吃的得开20~30分钟的车到隔壁相马市。平均要走40~50公里。吃的东西大多是自己家的大米和罐头火腿之类的。马上就要到耕种的时节了。“但是如果谁都不买的话种了也没用。不知道该怎么生活下去。”
人口7万人の同市は、避難指示の半径20キロ圏▽屋内退避の20~30キロ圏▽何も指示のない30キロ超の区域――の三つに分断された。市は、避難指示の地区以外も含め、希望する住民を新潟県、群馬県、長野県などにバスで送り出した。
这个人口7万人的城市被分为了三段——20公里内的避难圈,20~30公里内的屋内躲避圈,30公里外的没有任何指示的区域。市里把包括避难圈以外的希望避难的住民用客车送往了新泻、群马、长野等县。
「国には30キロ圏まで避難を指示してほしかった」。桜井勝延市長は残念がる。「屋内退避」という政府の判断が市民の放射線への不安を助長した。「言葉が独り歩きして『南相馬市は危ないのではないか』と思われてしまった」
“希望国家能指示30公里以内的人们避难。”樱井胜延市长很遗憾的说。“政府作出的让大家躲在屋里的判断助长了市民对辐射的不安。大家都觉得南相马市会不会危在旦夕了。”
ガソリンのタンクローリーの運転手が南相馬市のはるか手前で乗り入れを拒んだため、市は大型免許を持つ職員や市民に取りに行かせた。食料品などの生活用品が届かず、スーパーやコンビニが次々と営業をやめ、市全体が深刻な物資不足に陥った。市の関係者は「各家庭の食べ物は底をつきはじめていると思う」と話す。相馬市の相馬総合卸売市場を貸し切って、運送業者が24時間常駐し南相馬市内への食料供給に対応している。ここが命綱だが、届く食料は先細りだ。
油罐运输车司机在离南相马市很远的地方就拒绝前行,所以市里只能派有大型车辆驾驶证的市政府工作人员或普通市民去开回来。食品等生活用品无法送达,超市和便利店陆续停业,整个市区陷入深刻的物资不足的窘境之中。南相马市相关人员说“我想各个家庭的食物都已经要见底了。”南相马市把相马综合物流市场给包了下来,物流单位派人员24小时在岗往南相马市运送食品。这是大家生存的希望,可能能到达的食物却太少。
南相馬市立総合病院の金澤幸夫院長は、急患に対応するため、今も病院に残っている。「ここには救急車すら入ってこない。30キロ圏内に入る手前で救急車から自衛隊の車に患者を乗せかえている」と憤る。
南相马市立综合医院的金泽幸夫院长因为要处理突发病症所以现在还留在医院。他气愤的说“这里甚至救护车都不过来。在接近30公里圈的地方竟然把患者从救护车换到自卫队的车里去。”
暮らしたくても暮らせない。街は風前のともしびだ。
想生活也无法生活下去。这个城市已经成为风中残烛。
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一部地域が屋内退避の対象となった福島県いわき市では、市民の流出が止まらない。市は人口34万人のうち、すでに5万人超が市外へ避難したとみている。
一部分地区在屋内躲避圈的福岛县iwaki市开始出现大量的市民外逃。34万人口的iwaki市现在估算有5万多人离开该市避难。
23日午前、市内の常磐道いわき中央インターチェンジでは、関東方面へ向かう乗用車が目立った。近くに住む橋本将夫さん(63)は「21日から、ずいぶん車が増えた。みんな逃げてるんだ」。
橋本さんの家の前には飲み物の自動販売機などがある。高速に入る前に立ち寄るドライバーたちと話してみると、みな「放射能が怖いから避難する」と言う。「特に赤ちゃんがいる人は心配しているよ」
23日上午该市的常磐高速iwaki中央出入口就挤满了前往关东方面的车辆。这附近的住民桥本将夫说“从21号开始就增加了很多车。大家都开始逃跑了。”
桥本家门口有卖饮料的自动贩卖机。他跟进高速前在这里歇脚的司机们闲谈,大家都说害怕辐射而要避难,特别是有孩子的人。
11日の地震で通行止めになっていた常磐道は、21日からいわき中央インターから関東方面の通行を再開。ガソリンも届き始め、20日から営業を始めたスタンドもある。待望の燃料だが、マイカーの給油を終えると、そのまま県外へ出る人も。東京行きの高速バスでも満席が続く。
因11日的地震而关闭的常磐高速21日开始了iwaki中央出入口前往关东方面的运行。汽油开始供应,20日有些加油站的商店也开始营业了。不过很多人都是给自家车加好油之后就开车逃离了福岛县。前往东京的高速客车也始终是人满为患。
そもそも市域の大半は原発から30~50キロ圏におさまる。市内の大気中の放射線量も一時高まったが、17日以降は比較的低い水準で推移している。それでも、市は15日、国が20~30キロ圏に屋内退避を指示した際、広報車や地元FM局を通じて市全域に「外出自粛」を呼びかけた。
该市大部分都处于核电站30~50公里以内。虽然该市大气中的辐射量有段时间增高,但17日之后开始渐渐降低。即使如此,该市15日通过广播和宣传车通知政府关于20~30公里圈进入室内躲避的时候,也同时向整个市区发出了“尽量不要外出”的呼吁。
鈴木英司副市長(59)は「15日は雨。放射線がどう影響するか分からないなか、原発から30キロ圏の内と外で対応を変えれば、市民が混乱すると考えた」と説明する。
しかし、市民の受け止め方は違った。「国の指示なら『安全圏』なのに、市は危険だと言わんばかり。一体どっちなんだ」。原発から40キロ付近に住む会社役員の男性(64)は怒る。「市の全体が危ないという話が広まった。市民が逃げるような街に物資を届ける人なんかいない」
“呼吁大家不要外出是因为15号那天下雨,不知道辐射会对人体造成什么样的影响。如果在核电站30公里圈进行内外有别的措施会导致市民混乱。”铃木英司副市长如此解释。
但是市民却不这么认为。“按照国家的说法明明是‘安全圈’,市政府却暗示有危险。到底是怎么回事?”距核电站40公里左右居住的一家公司干部生气的说,“传言整个市都不安全。没有人会往市民开始逃难的地方运送物资。”
関東方面から燃料や食料を運ぶ運送会社の中には、途中の福島県郡山市までしか運ばない業者も増えた。市職員や消防隊員が郡山まで荷物を取りに行ったが、ガソリン不足で回数は限られた。
很多从关东地区往这里运送燃料和食品的物流公司只运到中途的福岛县郡山市。市政府人员和消防队员要开车前往郡山取东西,但因为汽油不足只能限制往返次数。
市内はまだ6割の世帯で断水中。「20キロ圏内の住民が私たちの目の前を通って逃げていった。市内には食べ物も水もない。市が『大丈夫です』と言っても説得力がない」。市職員はため息をついた。
市内还有6成的家庭在断水。
“20公里圈内的住民在我们眼前逃走。市内没有吃的也没有喝的。市政府就算说‘没问题’也没有任何说服力。”市政府工作人员叹气说。
ここ数日、徐々に物資が届き始めた。時間限定で営業を再開したスーパーでは、パンや弁当を確保しようと長い列ができた。鈴木副市長は「市全域に外出自粛を呼びかけたのは大げさすぎたかもしれない。だが、国の指示がそもそも中途半端だった」と言う。
最近一段时间物资慢慢的运到位了。超市开始限时营业,人们排着长队抢购面包和盒饭。铃木副市长说:“呼吁全市尽量不要外出可能是小题大做了,但本来国家的指示就是暧昧不明的。”
◇
一部が屋内退避圏にかかる福島県飯舘村。人口6100人の村には今、ほぼ半数の3200人しか残っていない。
村内では原発事故以降、大気中や栽培するブロッコリーから高めの放射線量や高濃度の放射性物質を検出。23日には、文部科学省が村内の土壌からも高濃度の放射性物質・セシウムを検出したと発表した。
菅野典雄村長は訴える。「なぜこうなったのか、村はどうすればいいのか。国から全く示されず困っている」
福岛县饭馆村的一部分处于屋内躲避圈。这个原本人口6100人的村子现在只有3200人留了下来。
在发生了核电站爆炸事件之后从这个村子的大气和农民培育的菜花中检测出了较高的辐射量和高浓度放射性物质。23日文部科学省声称从村内的土壤中检测出了高浓度放射物质铯。
菅野典雄村長诉苦说:“怎么会变成这样的,村子该怎么办?国家没有任何指示,实在不知如何是好。
村内で不安が高まったのは18日。大気中の放射線量がテレビなどで放送され、時には原発により近い地域よりも高い数値を示した。住民から不安を訴える声が相次いだ。
「どうして今まで隠していたのか」「早く村の外に逃げたい」……。村の幹部会はこの日、「大規模な避難もやむを得ない」として希望者が離村する際の支援策を決めた。
18日村内人们的不安更加严重了。电视播放了大气中的辐射量,有的时候比离核电站更近的地方都高。“为什么隐瞒到现在”“我想离开这个村子”村民们陆续表达自己的不安。村委会认为无法避免大规模的避难,于是于同天决定照顾希望离开的人们离开村子。
希望する村民と避難指示地域などから村内に退避していた人ら計314人が19日、バスで栃木県鹿沼市に到着。20日にも195人が同市へ逃れた。マイカーで避難する住民にも、20リットル分のガソリンを優先的に給油できるチケットを配布。村に4カ所あった避難所はすべて閉鎖した。
19日共有314位希望离开的村民乘坐客车到了栃木県鹿沼市。20日又有195人逃来了这里。对于自己开车避难的村民,村政府发放了可以优先领取20升汽油的购物券。村子里的4个避难所全部封闭。
村から鹿沼市に避難した高橋薫さん(40)の一家は、家族8人のうち夫ら3人が村に残る。「家は井戸水だから震災後も苦労はしなかった。でも、夫に『子どもにこれからどんな症状が出るか分からないから』と言われて出た。いつ帰れるんだろう。残してきた家族が心配です」
从村子逃往鹿沼市避难的高桥薰一家8口中还有3人留在了村子,包括她的丈夫。“我家因为是用井水所以地震之后没吃什么苦。但是丈夫担心孩子以后会出现什么问题所以我们逃了出来。什么时候能回去呢。非常担心留下来的家人。”